データを指導に生かす
最近ハマってやってることがある。
心理学的なエビデンスを基に指導したり、エラーをデータ化して子供たちに提示していることだ。
最近やったのがテストの間違え分析の提示。
冬休み前にやった垂直、平行と四角形のテストを3日前に返却したのだが、そのテストで数学的な考え方の問題があまり芳しくなかった。
特に、
「2本の対角線の長さが等しい図形はどれか?」
「2本の 対角線が垂直になっている図形はどれか?」 の正答率が悪かった。
間違いの分析してみたところ、図形に対角線を引いて考えられていない児童が多数いたことがわかった。
そして、正答率を出してみると、対角線を書いた子の正答率84%、対角線を書かないで考えた子の正答率36%だった。
これは、教えたことを浸透させられなかったと同時に子どもたちに良い方法だと価値付けできなかった力のなさを痛感させられる結果となった
実際、テスト指導の時にこのデータを見せて、ざっくばらんに子供たちに語らせてみた。
正答率の悪い子供たちは、どうもめんどくさいと思っていた節があり、手を抜いても何とかなるとも思っていたようだった。ただ今回このようにデータを示して話をしたことによって、めんどくさいことも地道にやっていくと成果になっていくことや、自分の手助けになっていくということを理解できたようだったのでよしとしよう。
なかなか今年の子供たちは、個性派ぞろいでなかなか骨が折れる。
しかし、地道に歩みを止めずにやっていくことが大切なのでこれからもしつこくしつこく指導していこうと思っている。
自信とはものすごい
我がクラスには、発達障害の子が数名いる。
その中で伸びが著しいのはNくんだ。
Nくんは、ちょっとしたことでつまずくとすぐに癇癪起こしたり、パニックになったりする。最近は暴れる事はなくなったが7月までは、パニックを起こし教室に入れないことも度々あった。
課題把握能力も低く、理解度も相当低いので四月のテストは、壊滅的だった。
そんなNくんに、進めたのが予習である。Nくんにだけ、算数スキルや漢字スキルをどんどん進めていいよと伝えた。
しかし、もともと勉強嫌いで自信がないので予習に興味を示さない可能性もある。そこで、次のように話した。
「今やっておけば、課題が終わらなくてスキルまで到達できなくても安心じゃない?君にとってかなりのメリットがあるよ。先にやることで貯金を作ってると思ったらすごいことじゃない?」
するとどうだろう。次の日からスキル予習をし始めるではないか。やる問題がなくなったら、自分で問題を作って解き出したり、教科書の補習の問題に取り組んだりと前向きになってきた。
特に算数で顕著だった。
私のクラスでは、授業内容と宿題プリント、授業の冒頭5分で行う復習テストがしっかり連動しているので、記憶に残りやすい授業展開となっていることもあり、Nくんの努力と相まって成績はみるみる上がっていった。
しかしそんなNくんにも越えられない高い壁がある。
漢字である。
LD傾向のあるNくんは、漢字の学習がものすごい苦手で、やってもやっても覚えられない。私は、漢字においては、求めすぎもいけないので抑え気味に指導していた。100点満点中0点でも「つぎだ!大丈夫!」、10点、20点のときには「よくやった。がんばった。」と励まし続けた。
そんな彼がついにやり遂げた。本日の都道府県漢字テスト(位置も合わせて解くテスト)で90点をたたき出した。もちろん100点満点中である。
「なぜこれほどまでに頑張れたの❓」と聞いてみたら、「算数でもできるんだから漢字でも絶対できるはずなんだ。だから俺は冬休みがんばったんだ。」と言っていた。
強い自信や強い意志というものは、時には、障害によるハンデすらも超えてしまう。
なかなかお目にかかれるものではないのは確かだ。しかし、続けること歩みを止めないことは必ず大なり小なりいい方向に行く。
私は彼の担任ができて本当に楽しいし、嬉しいと心底思う。
今を必死に生きなければ、未来はない。
最近、手を抜くやつがほんと増えたと思う。働き方改革の名の下に若手、ベテラン問わず手を抜く奴が増えた。
自分さえよければ良い、楽をして過ごせれば良いと考える奴が増えたような気がする。現に仕事をたくさんやってもらっても心の中ではラッキーとしか思っていない。自分が楽になればラッキー、自分に仕事が降りかかれば文句を言う。一体何なんだ。
目の前の子供たちの事や仕事のことに全力投球できない奴は絶対に未来は無い。一生修行なんだ!生きていることが戦いなんだ!修行までサボろうとするのは働き方改革ではない。
知識、技術、心それが足りない人たちは、働き方改革と言ってサボろうとせず、自ら進んで自分を向上させていってほしいと思う。
働き方改革はサボるためにあるのではない。仕事のしない若手やベテランは肝に銘じるべきだ。
今年もあとわずか
今年もあと3時間足らずで、終わる。
今年は、熟成した年だった。
インプットとアウトプットの連動学習を進めたことで、たくさんの子達の自信と勇気を取り戻させることができた。
今まで歴代の担任が、匙を投げた子達がみるみる蘇って生き生きしている。
教務主任や教頭からは、最近再生工場と呼ばれるようになったが、特別なことをしているわけではなく、科学的に実証されていることを組み合わせて進めているにしか過ぎない。
やはり、これからの教育界は、科学的なエビデンスを重視して学級経営、授業経営をしていかなければやっていけないだろう。
まあ、センスや直感も大事だが。あまりにも学校現場はそっちに偏りすぎてしまっている。
来年は、そういう旧態依然の考えの人達とどう向き合っていくかが、1つ課題と言えそうだ。
足かけ4年
本日、教育委員会に行って、特別支援学校教諭免許状の申請をしてきた。
特別支援学校教諭免許状には、5つの領域がある。知的、肢体、病弱、聴覚、視覚である。これらの全領域を取るためには、定められた計10単位が必要となる。都道府県教育委員会で開講している免許法認定講習を夏休みに受けたり、土日開講している指定大学の免許法講習に参加したりしながら単位を取得していった。
丸2日受講して1単位なので、働きながらだとなかなか単位が取得できないのが悩みどころ。かかる人は5年、6年と長い時間かけてゆっくり取る傾向にある。しかし、私は3年で取得たかったので、2年目に一気に5単位とったのだが、10月、11月、12月の土日に大学に行くことも多くなかなかハードだった。
受講申し込みの抽選に漏れ、1年予定より多くかかってしまったが、4年で全領域を取得できたという事はまずまず頑張ったんじゃないかなと自分を褒めてあげたい。
しかし、1回の申請に5000円がかかると言うのは、なかなかぼったくりのような気がする。ちょっと高すぎやしないかと思ったがこれを言うのは野暮かもしれない。
まあ、それはともかく無事書類が提出でき少しほっとした1日となったのであった。
学校評価アンケートの記述
学校評価のアンケートを回収し終える。
例年、この学校評価アンケートに戦々恐々の人もいるだろう。特に自由記述欄には、毎年辛辣なことを書いてくる保護者もいる。
特に、今年、キツイなと思った記述が、
「先生方の力量にあまりにも差がありすぎます。こんな状態だと保護者として不安です。これが公教育といえますか?」
だった。
確かに言いたいこともわかる。
本校は20代の教員が、25学級中11学級。
教員経験10年未満の教員は25学級中16学級。
まだまだこれから経験を積んでいかないといけない人が多い。
再任用のポンコツの方もいるので、割合はもっと増えるかもしれない。
経験値のある教員に受け持たれる確率は低い。
各学年一クラスは、崩壊・崩壊手前の学級があるので、6年間に1度は学級崩壊を経験する児童も多いであろう。
さて、なんでこんなことになってしまったのか?
これは、教員養成が教科教育に特化しすぎているためだと私は考えている。学級経営については、何にも学んできていない人がいきなり担任を持ちクラスをまとめられるわけがない。年々親、子供の質が下がってきていて、それは、より深刻だ。
学級経営は、全ての根幹。研究によっては、学級崩壊を経験すると成長レベルが通常より4割も落ち込んでしまうという結果も出ている。
教員養成の形を抜本的に見直さないと取り返しのつかない未来が待っている気がする。
美容師さんとの会話
私は2ヶ月に1度髪を切りに行く。行きつけの美容室は、もう5年以上通っているのだが、私が髪を切る場所を固定したのは、大学入学で親元を出てからはじめての事だった。関東圏は、美容室がすごく多いので、毎回飛び入りで違う店で切っていたのだ。
そんな奴がもう5年以上固定しているのは、その美容師さんが、非常に考え方が深いからなのだ。ちなみに、自分の職業を言ったのもこの美容室が初めて。
いつものように、仕事の話をしたのだが、「若手にあの人だからできると思って欲しくないでですよね」と話したら、「それってマシだと思いますよ」と返された。
美容師さんの考えの概要は、
「若手はきっと差を感じている。ということは、悩んでいたり、諦めていないケースも存在する。本当にだめなやつは、それすら感じてない奴が多い。差を感じていない奴は、今できないのはやってないだけ、俺がやる気になればすぐにできる、成功できると思って結局行動はしない。ということは、その若手はマシ」ということだった。
たしかにそうだ。
「あの人だからできるんだ」と言う考えは一見言い訳のように聞こえるのだが、見方を変えてみると壁にぶち当たっているから出る言動とも言える。やはり物事は一義的に考えるのではなくて多角的に考えるべきであろう。
頭を柔らかくして思考しないと、自分のレベルも下がってしまうと気づかされてしまったのであった。