ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

差がついたな

先週、学年のあるクラスでトラブルが発生して解決に至らなかったので、本日聞き取りをすることになった。「その聞き取りに同席してくれ」と校長から頼まれたので私も同席することになった。

当然聞き取りは授業中。私のクラスの2時間目の授業を自習にすることとなる。当然トラブルがあったクラスも自習だ。

トラブルがあったクラスは、聞き取りが始まるとすぐにうるさくなりどんちゃん騒ぎ。

私のクラスは、誰も喋ることなく静寂に包まれている。課題が終わってもさらに自主的に別のことをやっている。

同じ学年の子でこの違い。トラブルがあったクラスの担任は、何回も中座しそのたびに注意をしにクラスに帰る。それを5分おきに繰り返すので、落ち着いて聞き取りなんかできない。仕方がないので、事情を伝聞でしか知らない私が子供たちの聞き取りをメインですることになってしまっていた。結局、中休みもぶち抜きでやったので、1時間以上聞き取りを行う羽目になる。

実は今日は係活動で、お笑い係のネタ撮影をする予定になっていたのだが、このおかげで延期となってしまった。子供たちは、「そういうことならしょうがないね。明日でいいよ」と優しかったが、約束を破ってしまった形になったので、かわいそうなことをしてしまった。

まぁそれでも、「明日でいいよ」といってくれた子供たちや、自習時間をきっちりこなすクラスを見ていると、他のクラスと雲泥の差がついたなと思ってしまう。しっかり、育ってくれてありがとうの気持ちでいっぱいだ。

成績がつけ終わる

やっと成績がつけ終わった。所見は、1人約500字。我がクラスは36人なので、18,000字だ。毎年かなりの量。

1月の中旬から、週末コツコツ書き続けやったと終わりを迎えた。今は清々しい気持ちでいっぱいだ。しかし、こんな時代錯誤な所見はもうやめたほうがいいんじゃないかと心から思う。私の自治体の悪い癖なのだが、先生方はしっかりやってますよと言うアリバイ作りのための所見になっている気がする。加えて、おかしな縛りがある。前期は英語活動。後期は道徳を総合所見に入れなくてはいけない。来年度から本格実施だから入れとこうという考えなのかもしれないが、英語活動も道徳も国語や算数や社会や理科や体育等と同じ教科なのでそれを特別扱いするのは、私は解せない。これも教育委員会のアリバイ作りなのだろう。

まあ、仕方がないので我々末端は、教育委員会のアリバイ作りに協力してやろうという感じでやっている。

できれば、所見は、子どもファーストでありたい。加えて、もっと少なくても伝わるものは伝わるのである。量ではなく質なのだ。

学級崩壊事例考察

私が見てきた学級崩壊の事例を挙げてみたが、これらの事例にはいくつかの共通点がある。

1つ目は、自分の指導を過信しすぎると言うことだ。以前は、それで通用していたかもしれない。ただ以前持った子と、今の子と違うのだ。それを十把一絡げに判断し、無理矢理合わそうとする。目の前の子供を見れていないから大切なものを見落とす。かつての私もこの失敗で学級を壊してしまった。異動したての教員が、この失敗を犯しやすい。

2つ目は、フラットな人間関係を子供と構築できないと言うことだ。話しづらい教員には情報が集まらない。情報が集まらないから事態が悪化する。教員が母性的な側面を発揮できないと言うところに問題がある。この面で失敗しやすいのは中堅からベテランの教員になる。

3つ目は、しっかりとした学習規律が作れないと言うこと。今の子供が学校に望んでいる事は安心や安全なのだ。その安心や安全が、規律と言う形で担保されなければ、不安定要素になる。今は家庭教育が非常に落ちているので、しつけと言う部分でもここを外すととんでもないことになる。初任者や若手、柔らかい雰囲気を持った女性がはまるだろう。ここは教員の父性的な側面が求められる。

4つ目は、愛着障害発達障害、知的障害などの特別なニーズ教育に対しての知識が足りていないというケース。今の学校現場でここに対応できる教員は、非常に少ない。教科指導が教員養成でメインになっているので、ここの深い知識がない。世の中はインクルーシブ教育だと言われているが、教員養成段階でインクルーシブ教育についてしっかりと習ってきていないのが問題。知識を身に付ける前にこういう子を担任した場合、その教員は深い代償を払うことになる。

5つ目は、教員が学ばなくなったと言うことだ。今話題になっている教育情勢に非常に疎い。教育技術が足りていないのに、関連する書籍を読むこともしない。教員は、知っていた者が勝つ職場だ。知識が足りないものが、なぜ子供たちの前に立てるのか?ここが足りないから失敗するんだ。

6つ目は、隠れたカリキュラムだ。ヒドゥンカリキュラムともいうが、教員の癖や振る舞いが子供に大きな影響与えていることに気づいていないと言うことだ。実際子どもはある意味素直だし、安易な方向に行きがちだ。教員が安易であれば、子どもたちも安易な方向に行く。教員が時間にだらしなければ、子どもも時間にだらしなくなる。教員の映す鏡が目の前の子どもだと言うことを深く自覚していないことに問題点がある。

以上ざっと挙げてみたが、おそらく外していないのではないかなと思う。学級崩壊で苦しみたくなければ、上記のようなところを気をつけてみると良いのではないかと思う。

言うは易しやるは難し。日々教員として向上していく人間が今後生き残っていけるのではないかなと思う。

今は教員戦国時代。私も生き残るため日々精進しようと思う。

学級崩壊事例その2

ケース:5 精神疾患を抱えた女性

私と組む前に精神疾患で半年ほど療養休暇をとっていた方。何に対しても不安感が強く、自分が想定していないことが起こると落ち込んだり、悲壮感になることが多い女性だった。学級担任と言うのはしょっちゅうイレギュラーなことが起こる。自分の思い描いた通りにいかないのでしょっちゅう愚痴をこぼしていた。週案通りに行かないと結構不機嫌になっていた。なんでもきっちりやる性格だったので、クラスもきちっとさせたかったようだが、子供たちが全く言うことを聞かずストレスを溜め、精神疾患が再発。1年はもったが、次の年また療養休暇に入った。

ケース:6 小1プロブレムに巻き込まれた若手

一年生を持った時に学年を組んだ若手。明るくハキハキとしていて、ガッツもあり、なかなか素質のある子だった。

しかし、受け持ったクラスには、親に捨てられた愛着障害の子が在籍していて、ハサミで人を襲ったり、ものを盗んだりとその子を中心に問題行動が多発。学級内のハサミはその子のおかげで全員お預かりとなった。祖父母が育てていたのだが、昔ながらの厳しい教育、早い話が暴力教育だったので、学校と噛み合わなかった。

常識のない祖父母も地域から浮いていて、子どもも放課後、ガラスを割る、ものを壊す、人の家に勝手に入るなどの問題行動をしたため住民トラブルに発展。そのクレームが学校にまで来るようになり、担任はノイローゼにかかる。主任だった私が、対応引き受けることになり後半はなかなか厳しい日々だった。その子は、次年度私が受け持つこととなる。

ケース:7 不思議ちゃんなベテラン

このケースが、1番わけのわからないケースになる。不思議ちゃんなベテランだ。

もともと、芸術大学出身で、芸術家志望だったのものの断念して教員になったという経歴の人だった。この人は、時間の管理が全くできず、渡していた予定表もどこかになくすので「予定どうなっていましたっけ?」が口癖だった。時間割もなく、その日の気分で授業やっていた。ものも多く、職員室や教室の机は書類やプリントで高い山になっていた。所謂、片付けられない人だった。いつも物がないと探している人なので、子供からの信用もすぐに失い、学級は常に騒乱状態。当然保護者も不安になり結構な頻度で訪問してきた。全く行動が改善できないので管理職も匙を投げ、対応を私に丸投げしてきた。仕方がないので面談も結構な頻度で入ったことを記憶している。その先生は、ADHDだったのではないかと私は思っている。

ケース:8 今組んでいる年配の男性

この方は、頑固一徹。思い込んだら猪突猛進。人の話が全く聞けない。こんな性格なので当然子どもたちの話も聞けない。口癖が「あなたたちで解決しなさい」だ。この様な姿勢だから、このクラスの子たちは「先生は話を聞いてくれない」と四月の末から不満をもらしていた。私がそれとなく伝えたが「自主性がそだってないからレベルが低い、これで鍛える」と語気を強めていた。この先生の望み通り、自分たちで解決しようと授業が始まっているのに話し合いをして校庭から戻ってこないということが多発する。これに味をしめた低学力、特別なニーズを抱えている子が、話し合いをすると称して勝手に教室から出て行くことになった。気がついた時にはすでに遅く、男子のほとんどが担任のいうことを聞かなくなった。登校を渋る子も出始め毎日電話対応で一日が終わっている。最近では、出来る女子も離反し始め、雰囲気が悪い。

学級崩壊事例その1

どこの学校前も珍しくなくなった学級崩壊。

なぜ学級崩壊が起こるのか、今まで見てきた経験をもとにしながらまとめた第1弾。

 

ケース1:年配の女性

2年目で組んだ定年間際の年配の女性のクラス。すぐに手が出る子、感情を抑えられない子、わがままな子が在籍しているクラスであった。休み時間のたびに、喧嘩が発生し、机をひっくり返たり、椅子をぶんなげたりすることが多発していた。当時、その方は、初めは対応していたものの、叱りすぎて疲れてしまい運動会が終わった頃にはもう覇気がなかった。対応も私か先輩に任せるようになり、とにかく彼女を休ませてあげようと気持ちは一致していたので、自分のクラスを放っておいてよくそのクラスの仲裁していた。夏休み前に、1番問題行動を起こしていた子が転出すると事態は好転し学級は落ち着いた。しかし、冬休み中に、その子が出戻ってきたのだが、元のクラスには入らず、なぜか私のクラスに入るという謎な事態になった。当時の私は、「元気な男の子が増えれば楽しくなるな」程度で引き受けたが、後に当時の教頭に、「彼女が泣いて拒否したのであなたが引き受けてくれて助かった。ありがとう。」と言われた。私のクラスに入ったその子は、全く問題行動を起こすことなく、進級していった。

ケース2:2年目の若手

3年目で組んだ2年目の若手。人の話をじっくり聞くのをモットーとしていて、かなり穏やかな人だった。少々スローなところもあり、芸人で言えばボケタイプ。子供たちは、そんな彼女に好意的な気持ちをもっていたが、徐々にやんちゃな子たちが言うことをきかなくなり、穏やかでスローなところが逆に仇となった。子供たちには頼りなくうつったみたいで、廊下で男子達が悪口を言っているのをよく耳にするようになった。支援級の子が交流してくるクラスだったのだが、支援級の子も調子に乗り一緒になって暴れるようになった。コーディネーターの先生がべた付きで入るようになり力で押さえつけて凌いだ1年間だった。学年の一員として、初めて自分のクラス以外の面談に入る経験をした。

ケース3:5年目で組んだ主任

穏やかな女性だった。物腰が柔らかく、叱ることがほとんどなかった。とにかく子供を認めを認めようとする傾向があり、受容型の教員だった。しかし何でも認めていると、規律がなくなるのは当たり前で、ルールがあってないようなものになった。当然クラスのやんちゃな男子たちは、その穏やかさを逆手に取り暴れるようになった。言うことを全く聞かなくなり、殺伐としていた。6年生と言うこともあり、思春期特有の問題も絡み合って女子の中で不登校やいじめが続発。ひどい騒乱状態だった。結局、収集不能となって卒業していった。

ケース4:6年目の若手男性

2年、3年、4年、5年の時必ず1クラスは学級崩壊を起している学年だった。そんな学年を持ったのが6年目の若手男性、その人は異動したてで6年生を持たされた。今までゆるい雰囲気でやってきた中で、規律を前面に押していったので、すぐに反発をされた。しかし彼は、力で抑えつければ何とかなると思い込んでいたのでそのままの姿勢を貫いた。また、基礎学力が低いクラスにもかかわらず、課題解決型学習や自主学習をガンガン進めていった事で低学力児がさらに低学力化していった。学力が伸びないのは子供のせいだと指導力のなさを子供に責任転嫁していたことや、子供を見下した指導を繰り返したことで学級が荒れた。11月から子供たちと全面戦争繰りひろげわかりあえないまま卒業させた。ちなみにこれは私のこと。私の教員人生で1番苦い経験になっている。

悲しき学習発表会

昨日、学習発表会があった。

今年私の学年は、器楽合奏の部と調査発表の部の二本立てのタイトルで行った。

器楽合奏は、共に2曲ずつ計の4曲。調査の部は、総合的な学習の時間を生かしたものにした。

ただ、この学習発表会開催にあたっては、ひどい難所が待ち受けていた。

1月最初の学年会で学習発表会の計画をみんなで持ち寄ろうと言う話でまとまったのだが、蓋を開けてみたら案件を作ってきたのは私だけだった。ということで、私の案がベースになる。

子供たちの司会や言葉指導は、年配の先生がやることになっていたが、全く指導がなっていなくリハーサルに行き当たりばったりで行うということをやってきた。なので当日もグダグダ。

楽器を音楽室から運んだのも私のクラスがベース。練習計画を立てたのも私。当日の椅子だし会場設備も私のクラス、片付けも私のクラスとなった。

うちの子供たちはよく働いた。会場設備も15分でやり、片付けは10分とすごかった。パイプ椅子の数200脚。働きっぷりは感動もんだ。

総合的な学習の発表だが、他のクラスは、私の助言したことを聞かなかったために、スーパーグダグダの発表展開し保護者から不評だった。私のクラスは、自分で調査したことをしっかりとレポートに残し、それをもとに発表原稿を作ったのでかなりクオリティーが高い。そして一人ひとり発表内容が違うので見ていて飽きない。私のクラスの発表だけが突出して良すぎたので、保護者からも絶賛の嵐だった。ベテランも最近の若手も、正しい型、指導技術、子供に合わせた言葉がけやモチベーションの高め方。どれも実力不足。それで危機感を感じていない。

厳しいことを言うとすぐにひねくれ、バリアを張る。ムーディー勝山のように左に受け流すことだけは一人前だ。

ちなみにベテランのクラスは、発表中に喧嘩が起こり、学習発表会がストップすると言う事態が発生したようだ。学習発表会後保護者に囲まれクレームの嵐で騒然となっていた。

このベテランについては、「今年で仕事を辞めてくれないかな」と心底思っている。自分が今までやってきたことが、通用していないのにさも通用しているふりをしているのは見ていて滑稽である。なぜこんな人が、教員として生き残ってきたのか?

このベテランを見ていると、学ぶ意識を持たなくなった末路というのがよくわかる。

今組んでいる若手の子たちも、何の問題意識も持たなければ、このベテランのようにすぐにポンコツになっていくと言うことを自覚してほしいものだ。

 

マイナスからプラスへ

こんな言葉を、言っていた人がいる。マック赤坂さんだ。

泡沫候補と揶揄されながらも立候補し続け今では目標達成し議員さんになっている。

マイナスからプラスへと言う言葉は、あながち間違いではないと最近思う。

私はもともとネガティブ思考なので、マイナスにすごくとらわれてしまう。ただ、人間というのは、マイナスな奴と一緒にいると不幸になるので必ず避けられてしまう。マイナスの人間と一緒にいたい人間なんて存在しない。

だからこそ、心を常にプラスに保っておかないといけない。心がプラスであれば、自分が望まなくてもみんな集まってくるのである。だから、願わくば不幸すらも楽しめる、プラス思考にしてしまう心構えでいることが人生楽しくしていく鍵なのかもしれない。

「なんだよふざけんなうまくいかねーなー」と思うよりも、「よっしゃやってやろうぜ」と思った方が同じ不幸でも変わってくる。要は早く自分で心を整えるかなのだ。

最近私は、あることから心をかなり乱されたのだが、初めははやっぱり悶々としていた。なんだか恨みにも思っていたし、悔しい気持ちでいっぱいであったし、虚しくもなってしまった。

しかし、今先ほど、気がついたのであるが、私の実力なんていうのはまだまだ発展途上だと言うこと。そういった心を乱された出来事も、私自身の実力不足を認識する良いものだったと思えるようになった。だからこそ、技術や知識をどんどん高めていかなければならない。一生修業なんだと強く思える。

意識が転換できてよかった。また、私は走っていけそうだ。