ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

価値がないものに価値付けする

学級崩壊、学年崩壊した後の次の年は、正しいことが全て無価値となっていることが多い。

私の今受け持っている学年もその傾向が、強く出ていた。

掃除→さぼる、ふざけるのがあたりまえ。

給食→マナー悪く食べるのがあたりまえ。

口調→友達、教員に粗野なのがありまえ。

挨拶→しないのが、あたりまえ。


子供達の誤学習の酷さといったら、とんでもなかった。

最近こそどのクラスも、改善できているが、まだまだレベルは物足りない。


子供達の中には、教員のランク付けみたいなものが存在しているのがたしかだ。

私は、様々な子をしつこく指導しているので、嫌がられているのか、意識されているようで、私の前ではやめる傾向がある。

私的には、それも気に食わないので、隙を狙って捕まえ、「誰がみてなくても正しい行動をすべき」言っている。

ただ、警察官のように取り締まり続けても、成長はないので、

「自分さえ良ければいいのか?みんな見ているよ。あなたの気持ちを聞かせて?」

「自分がされて嫌なことを、人にするのはなぜか?」

「学校はみんなのもの、ルールが守れないなら使う権利はないと思うがあなたはどう考えるのか?」

と言った感じで考えさせる。


あんまり考えてない子も多く、大抵「その通りです。」と返答するが、私は「なんで?そう思ったの?気持ち教えて」と質問を投げかける。

一種の追い込みみたいなものだが、うわべだけでは、話をしても何にも響かない。やったことに対して、厳しく真摯に向き合わせる、それを私は「岩盤に楔を打つ」と表現しているのだが、岩盤=心に、指導という楔をどれだけ打ち込んだかで、真の改善はされる。逃げ道を作っては絶対にいけない。

当然、指導した後には、価値付けをしなくてはいけない。改善した行動については、価値付けやフィードバッグなど、行動に対しての評価も継続して行わなければならない。

そうやって、続けた先に、無価値だと彼らが思っていた(思い込んでいた)ものに、価値は生まれる。

それをどれだけできるかが、教師としての価値になるのではと、最近は強く感じている。