ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

心がない教員が増えた

昨日は書き初めだった。1、2時間目体育館に集まり、自分が決めた言葉を心を込めて筆で書く。学年間でおしゃべりをせずにしっかりかかせようと共通理解をしていたが、やっぱりじいさんの所と若手のところはギャーギャーうるさい。終われば、遊びだす児童もいてそれを見ているだけで注意をしない。注意をしないと言う事は、子供たちに対してそれをいいですよと認めたようなものだ。なぜ私だけが動いてそういう子たちを諭しているのだろうか。

 

加えて若手のところは、習字バック忘れた児童がいるのだが、教室で泣いているのを放置して「あいつが悪いんですよ」と言う始末。私が習字バックを貸し、事なきを得たがこのまま放置するつもりだったのだろうか。

 

最近の若手やベテランは全くわかっていないのだ。自分の行動や振る舞いが、大きく学級経営に関わっていると言うことを。さっきの状態をそのままにしておけば、協力してくれている子供たちの離反につながる。行く先は学級崩壊、騒乱状態だ。

 

一方うちのクラスの子供たちは、非常に集中していた。誰も話す人もいなかったし、時間をかけてじっくり自分の字と向き合っていた。

終わった後も、片付けがとても早く、クラスに戻ってきてからも出した自習課題に黙々と取り組んでいた。

きっと我がクラスの状況を見てもなんとも思わないのだろう。他の3クラスは、お互い傷の舐め合いでもしながら、レベルの低いところで漂っていれば良い。

 

今まで何度も言ってきた。方法も教えてきた。しかし、取り組もうとしてこなかった。そのような姿勢を子供たちは厳しく見ている。それが今の若手、ベテラン問わずわかっていないのだ。

 

最近別の学年の若手が私の学級を見にくるがエッセンスを取り入れてかなりレベルを上げてきている。科学的に証明された方法をとっているのであるから、やれば成果に上がるのになとすごく思う。

 

なぜ力のない人ほど、良いものや、成功している事例を取り入れないのだろう。子供の所為などにせず、自分と厳しく向き合い、指導に生かさなければ、ただの給料泥棒だ。

 

何回も口を大にして言いたい。我々の振る舞いは常に見られている。そしてその振る舞いによって指導が通るか通らないかも関わってくる。

 

もうこの3人はダメだろう。人を育てると言うのは難しい。むしろ人なんていうのは育たないのかもしれない。

 

主体的な学びと新学習指導要領にはあるが、教員が主体的に学ばなければ学校は終わるだろう。今教員として必要なのは、主体的に学ぼうとする意欲の高い者だ。きつい言い方だが、再生できない教員のスクラップを始める時期に来ているのかもしれない。

それだけ昨日の事は、私は頭にきた。