ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

学級崩壊事例その1

どこの学校前も珍しくなくなった学級崩壊。

なぜ学級崩壊が起こるのか、今まで見てきた経験をもとにしながらまとめた第1弾。

 

ケース1:年配の女性

2年目で組んだ定年間際の年配の女性のクラス。すぐに手が出る子、感情を抑えられない子、わがままな子が在籍しているクラスであった。休み時間のたびに、喧嘩が発生し、机をひっくり返たり、椅子をぶんなげたりすることが多発していた。当時、その方は、初めは対応していたものの、叱りすぎて疲れてしまい運動会が終わった頃にはもう覇気がなかった。対応も私か先輩に任せるようになり、とにかく彼女を休ませてあげようと気持ちは一致していたので、自分のクラスを放っておいてよくそのクラスの仲裁していた。夏休み前に、1番問題行動を起こしていた子が転出すると事態は好転し学級は落ち着いた。しかし、冬休み中に、その子が出戻ってきたのだが、元のクラスには入らず、なぜか私のクラスに入るという謎な事態になった。当時の私は、「元気な男の子が増えれば楽しくなるな」程度で引き受けたが、後に当時の教頭に、「彼女が泣いて拒否したのであなたが引き受けてくれて助かった。ありがとう。」と言われた。私のクラスに入ったその子は、全く問題行動を起こすことなく、進級していった。

ケース2:2年目の若手

3年目で組んだ2年目の若手。人の話をじっくり聞くのをモットーとしていて、かなり穏やかな人だった。少々スローなところもあり、芸人で言えばボケタイプ。子供たちは、そんな彼女に好意的な気持ちをもっていたが、徐々にやんちゃな子たちが言うことをきかなくなり、穏やかでスローなところが逆に仇となった。子供たちには頼りなくうつったみたいで、廊下で男子達が悪口を言っているのをよく耳にするようになった。支援級の子が交流してくるクラスだったのだが、支援級の子も調子に乗り一緒になって暴れるようになった。コーディネーターの先生がべた付きで入るようになり力で押さえつけて凌いだ1年間だった。学年の一員として、初めて自分のクラス以外の面談に入る経験をした。

ケース3:5年目で組んだ主任

穏やかな女性だった。物腰が柔らかく、叱ることがほとんどなかった。とにかく子供を認めを認めようとする傾向があり、受容型の教員だった。しかし何でも認めていると、規律がなくなるのは当たり前で、ルールがあってないようなものになった。当然クラスのやんちゃな男子たちは、その穏やかさを逆手に取り暴れるようになった。言うことを全く聞かなくなり、殺伐としていた。6年生と言うこともあり、思春期特有の問題も絡み合って女子の中で不登校やいじめが続発。ひどい騒乱状態だった。結局、収集不能となって卒業していった。

ケース4:6年目の若手男性

2年、3年、4年、5年の時必ず1クラスは学級崩壊を起している学年だった。そんな学年を持ったのが6年目の若手男性、その人は異動したてで6年生を持たされた。今までゆるい雰囲気でやってきた中で、規律を前面に押していったので、すぐに反発をされた。しかし彼は、力で抑えつければ何とかなると思い込んでいたのでそのままの姿勢を貫いた。また、基礎学力が低いクラスにもかかわらず、課題解決型学習や自主学習をガンガン進めていった事で低学力児がさらに低学力化していった。学力が伸びないのは子供のせいだと指導力のなさを子供に責任転嫁していたことや、子供を見下した指導を繰り返したことで学級が荒れた。11月から子供たちと全面戦争繰りひろげわかりあえないまま卒業させた。ちなみにこれは私のこと。私の教員人生で1番苦い経験になっている。