成績についての雑感多感
ようやく成績と所見が付け終わった。
今年は指導要領が改定されて初年度と言うこともあり、様々な内容変更があった。
まず、外国語が教科化になったので、五年、六年生では、取り立てて外国語を所見に書かなくてもよくなった。そのかわり道徳の所見欄ができた。相変わらず総合的な学習の時間の所見も存在するので、高学年の所見の書く量は例年通りと言うことだろう。
例年通りだからといって、侮ってはいけない。
学習と生活の所見が、約400字。
道徳の所見が、約120字。
総合的な学習の所見が、約100字。
1人頭約600字位。トータル約23,000字。
大学の卒業論文が、約10,000字位なので。半年に一回、大学の卒業論文を2本書いている計算になる。まぁ所見なんぞは大学の卒業論文に比べたら屁でもないわけだが、ただ字数と言うところで見るとかなりの量がある。
ただ今年は、高学年よりも中学年の方がきついと思う。
学習と生活の初見が約400字。
道徳の所見が約120字。
総合的な学習の時間の所見が約100字。
外国語活動の所見が約120字となっている
1人頭約700字だ。これは中学年の先生は地獄そのものだ。
もっぱらこのような所見になっているのは私の勤務している自治体ならではのことで、他の自治体はこの半分位のところが多いだろう。
私の勤務している自治体の評価は、できてB評価となっている。
私の友人の自治体は、できてA評価になっている。
私のクラスではA評価が、1つの観点で3人いれば良い方なのだが、友人に話を聞いてみたら軽く10人以上はA評価がつくそうだ。また友人の自治体は、所見が私の所の半分以下の字数。私の事自体は評価を厳しくしているので、その分言葉で返そうと言うような通知表のシステムになっている。
所見でわりときわどいことを書いても、管理職提出で赤を入れて直されてくるので、結局無難な言い回しや文章表現になってしまい、全くもって味気のない文章で溢れている。
もはや成績や通知表は、形骸化されていて、今までやっているから出すにしか過ぎないものなのかもしれない。
正直我がクラスは、テストの平均がいつも9割オーバーなのだが、隣のクラスの平均と10ポイントの差があるのに、A評価の数はささして変わらない。
相対評価ではないのに、相対評価風絶対評価?絶対評価風相対評価?なのか言い方がめちゃくちゃだがそんな感じになっている。
もうこんな形骸化された建前だらけの評価なんかつけたくない。
事なかれ主義の管理職のために、教育委員会のためになんでこのようなことをしなくちゃいけないのか甚だ疑問である。
とまぁ愚痴を散々言ってみたが、ともかく終わったので今飲みながらこのブログを書いているのだが眠たくなったので寝ようとする。
明日からは加速度的に帰る時間が早くなるだろう。金曜日の時点で一字も書いていない教員がいたのだが、来週はそういった教員を横目に颯爽と帰れるのだろう。あー気持ちが良い。