ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

不易な学力

指導要領改正をする度に、必ずアドバルーンがあがる。それが流行となって、いろんな学者がこぞって自説を提唱する。

しかし、考えて欲しいことがある。改正では、全てが新しくなるわけではなく、変わらない不易なものある。しかし、みんな、流行を追いそういったところをおざなりにする。指導要領は、必ず不易流行でセットになっていて、どちらかというと不易な部分が土台となって流行の部分が存在しているのにだ。


私は、今の動きは、今までの制度設計では、必ず失敗すると思っている。なぜか。土台を大切にしないから。また、今までの失敗を検証せず。うやむやにしているから。また、事実から目をそらしているからだ。


今の文科行政やそれに携わる研究者は、事実より、理想。不易より流行。理想のためには、不都合な事実を出されたくない。まるで、どこかの嘘つきな国の姿勢に見える。

昨今の、研究者は、現場を長く経験し、重厚なバックボーンをもった人は少ない。実践者として、幾多の危機を乗り越えてきたものがない。また、そういったものを知らない。また、目を背ける。


そんな、研究者ばかりなので、全く今の実態とは合わないものばかり提唱されていく。そして、それが検証、反省することもしない。それが繰り返されて来た成れの果てが今の教育現場の多くの矛盾だ。

今の大学の研究室、研究者は、使える予算が減り、流行のことをしないと認められない。加えて、立場的に苦しい。国に従っていれば、とりあえず予算がつく、研究ができると、御用学者に成り下がっている。飯の種を手放す気概のある研究者は、皆無だ。


ノーベル生理学・医学賞受賞した、本庶佑 京都大学特別教授も、基礎研究が軽視され、応用系ばかりに目がいっている科学会に警鐘を鳴らしてたことを思い出す。

こんな時代だからこそ、不易な学力に目を向けるべきだと思う。