ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

魔の6月を乗り切る処方箋

昨日の続き。さあ、どう対策をするか。

一つ目は、クラスのルールを見直すこと。

2ヶ月経って、学級のルールが崩れてしまっていることがある。ルールはメンテナンスしていかないと定着しない。クラスの弱点を洗い出し、それをしっかりと伝えることが大切。しかし、この時、やってしまいがちなことが、「弱点=ダメなところ」と見てしまうこと。それでは、子どもへのモチベーションも半減してしまうので、「弱点=改善されるとさらに向上できるもの」という視点で指導にあたると良い。

二つ目は、時間を守らせること。

朝の登校時間、休み時間などの感覚が適当になってはいないだろうか?この時期問題が出てくるクラスは、必ず時間の感覚が狂いがちになっている。授業の始まりと終わりの意識をしっかりと意識させること。当然教員自身もも守らなくては、話にならない。時間は絶対。ここを意識させメリハリをつければ必ず良くなる。

三つ目は、落ち着いた雰囲気を出すこと。

授業のどこかに「シーン」集中できる時間を設けることを勧めたい。黙々と取り組む意識は代え難いものがある。話す時、聞く時、書く時の切り替えを意識させると落ち着いてくるはずだ。また、落ち着いた雰囲気は、教員が落ち着いていなくては出すことができない。焦らず、急がず、ゆったりとした雰囲気作りに心がけるのが良い。

問題が多くなる6月

問題が多くなる「魔」の6月がやって来た。

運動会が終わり、子どもたちに無理をさせた反動があっちこっちで出ている。

怪我が増加。骨折、頭を切る、酷い捻挫など日替わりランチのごとく養護教諭が、病院に付き添っている。

ついに、校長が本日の会議で苦言を呈したほどだ。

学級も落ち着かなくなってるところがある。若手だけではなく、ベテランのところもだ。

万引きなどの警察にお世話になる事案も発生している。

これは、確実に「運動会」の影響だろう。運動会の練習で学級経営を頼っていた。悪く言えば、誤魔化していた結果だろう。運動会の取り組みをプラスの力に変えられなかった典型的失敗例だ。

私は、子どもに合わせて無理なくやっていたのでうまく乗り切れたが…。学年の他のクラスは、手を焼いている場面が増えた。空き時間や隙間時間で見に行くようにしているが、なかなか厳しい現実がそこにある。

行事は、魔物だ。毒にも薬にもなるが、最近は毒にしかなっていない。いまの学校現場に合っていない。

さあ、魔の6月。なんとか乗り切りっていきたい。


運動会が終わる

昨日、運動会が終わった。
例年、2時半から3時ぐらいで終わるのだが、今年は4時までかかった。


私の勤務校は、「引き継ぎが不十分」「口頭、慣例で動いている」ケースが多いのだが、そのせいで今年は時間が酷いほどかかった。


特に、用具やラインの段取りが悪く競技の準備にとまどったこと(用具が出ないことも多々あり)、指揮台に上がった若手達の進行の段取りが物凄く悪かったこと、騎馬戦で酷い落下があり競技が中断したこと(死に体になっていたのに決着をつけなかった、人がいたのに誰も抱えに行かなかった)など…。


あらゆる場面、係で役割が決められていなく、それぞれスタンドアローン、悪くいうと勝手に仕事を行なっていたので本当に酷かった。
決められた時間で進行できたのは、私を含め中堅、ベテランが担当した数競技だけ。

全体的にダラっとしていて、メリハリがなく教員の姿勢が問われるだろう。特に全教員が同じ方向を向いた運動会にならなかった。これは、かなりの問題だ。


この一体感のなさは、今後絶対に悪い影響を及ぼすに違いない。


今回は本当に危機感を感じた運動会だった。



前任校の運動会

昨日は、前任校の運動会だった。

今年の六年生は、私が1年、2年と2年間持った子達で、おチビさんの頃から知っている。

その子達が、最高学年ということで、是非とも「見に行かねば」と思い行ってきた。

特に感動したのが、騎馬戦と高学年リレー。

当時二年生で負けを受け入れられなくて、泣きじゃくっていたAくんだが、騎馬戦で負けたのだが私のところによってきて、「先生見てくれた?負けちゃったけど頑張ったよ」とケロっとしていた。本当に人は成長する。本当にたくましくなったなとしみじみ思う。

高学年リレーは、最後の最後まで抜きつ抜かれつのデッドヒート。ゴールテープを切るまで目が離せなかった。負けた子達も表情が清々しく、全力を出し切った感が伝わってきて感動してしまった。

運動会が終わったら、たくさんの保護者、子供達が集まってきてくれて、懐かしい当時の話になったり、写真を一緒に撮ったりした。


前任校を出て一年経った。


昨年は出れたことで、重責から解放されてホッとすることがほとんどを占めていた。しかし、今、振り返ってみると、いろいろいい経験や人間関係づくりができていたことに気づかされた。


今の勤務校でも同じスタンスで地に足つけてやっていこうと心に刻んだ1日となった。

慣例主義

我が勤務校は、引き継ぎがない。

口頭や、慣例で皆が動いているからだ。

文章がでても、不備が多く曖昧な部分が多すぎる。

だから、担当者が変わると右往左往し、行事などの計画がガタガタになる。

今回、運動会で私は応援団のキャップをやっているのだが、引き継ぎ文章がなく、渡されたのがメモの束だけであった。

だから、一から読み込みそれらを絞らなくてはいけなくなった。動画を見たり、メモと照合したりと困難を極めた。文章もどこにあるかわからずデータを探し、作り変える。

やっと、案件を出したと思ったら、イレギュラーなやること(開会式、閉会式の礼法指導、整列指導、全校競技の指導等)が満載すぎてイライラはピークの極み。予め教えておいてほしい。

意見を言ったら、「うちの学校はそうなんです」と返答。

正直、仕事に対する姿勢が酷すぎる。

後任者や周りが困ることはしちゃいけない。だから、引き継ぎは誰が見てもわかりやすく、且つシンプルでなくてはならない。

仕事は、人のためにするものだ。自分のためにしている仕事は、内向きで独りよがりになる。そうなったら、組織はガタガタになる。若手にはもう少しそういうことを理解してもらいたいものだ。


運動会の指導

運動会の練習もいよいよ佳境に入ってきた。

ここにきて準備不足のために体育を詰め込んでいる学年、子どもがうまく動けなくて怒鳴り散らしている教員が多発している。全く、時間をかければいいというわけでも無いのに…。

指導風景も酷すぎるもので、

「どーして、できないの?」

「何回言ったらわかるの?」

「話聞いているの?」

「いい加減にしなさい!」

などの怒号が飛び交う。もう見ていられない。

子どもが動かないのは、動けない可能性もある。動きが理解できていなければ、できない。

しかし、そういった教員は、指摘すると、

「教えています。」「理解させています。」

「理解力がないんですよね。」「この子達能力無いんですよ。」と、子どもが悪い言い方をする。

子ども達が、動けないのは絶対的に教員が悪い。指導の仕方が悪いんだ。適切な教え方をすれば必ずできるのにそれに全く気がつかない。ポンコツの極み。

もう少し、自分の指導や振る舞いについて客観視したらどうだろうか?動画に撮って見せてやろうかな?と思うぐらいだ。

もとより、客観視できる人は、このような指導はしないものだが…。

 

 

示し続ける

最近、とても難しいなと思うのが、同僚との意識のズレ。それも埋めることが難しいほどのもの。

私がストイックにすればするほど、周りが引いていく感じがする。

私はただ、「仕事は人のためにしよう」「自分のことばかり考えるのはやめよう」「誰がみていても胸のはれる指導に心がけよう」と当たり前のことを言っているだけである。

しかし、当たり前のことを指摘すると凄く嫌な顔をされる。特に自分のことばかり考えている人には…。

私の方が真っ当なことを行い、真っ直ぐな姿勢で仕事をしているため、表立って批判は無いが、確実に嫌な奴決定である。

こっからは、私自身失敗できなくなったと同時に、自分との戦いである。

子供に対しても、同僚に対しても示し続けることが大事だ。

敢えて茨の道を進んだ。しかし、子供たちの為には職員の意識改革が急務だ。

ストイックに取り組むしかない。嫌がられても豪速球を投げ込む。

私は負けない。やり続ける。