ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

朝からバタバタ

今日は、久々の平日休み。

しかし、休みにならないほど忙しい。

娘、息子が揃って熱を出す。病院に連れていったら、息子が胃腸炎。娘が手足口病。あー、なんてこっただ。

昨日のうちに仕事を終わらせておいてよかった。

午後は、買い物と銀行回り。

さっさと終わらして図書館に行きたい。

定時に仕事を終わらせるには

後輩が、学年会で「皆さんはいつ宿題やノートを見たり、テスト丸つけしたりしてるんですか」と聞いてきた。

「基本、子供達がいる間に終えている」と伝えると目を丸くして驚いていた。

「朝8時、子供が来ると同時に宿題を見て、8時半から誰が出していないかチェックをし、中休みに当番に返させる。」「ノート、テストの丸つけは給食時間、休み時間、掃除時間などにするよ。」とアドバイスすると、

「私は朝が遅いですから厳しいです。給食時間、掃除時間は指導しなくちゃいけないですか?配膳は、私がやらないと遅くて、掃除は見回りをしなくちゃいけないし、キチンとやっているかチェックしないといけないし」と返ってきた。

 

 

朝が遅い人は、基本仕事が滞りがちになる。なぜなら、初動が遅れるから。初動が遅れると玉突きのようにどんどん遅れていく。学校現場は、前もって仕事をやっておけるものが少ない。特に子どもに関することは、毎日発生し溜めると大惨事になる。

身もふたもない話だか、落ち着いた学級を作ることができれば、時間をたくさん生み出すことができる。私は、熱い食缶、重いものは運ぶが、ここ数年、給食の配膳を手伝ったことがない。なぜなら、しっかり教えれば子どもたちはできるからだ。掃除も同じ。掃除をする意味、意義、姿勢それを叩き込めば、サボる子は格段に減る。サボっていたとしても子どもたちの浄化作用ですぐに正常に戻る。

要は、学級の中に、教員の哲学をどれだけ理解させ、注入できたかということ。

子どもたちが自立し自主性に目覚めたクラスは、教師の直接の力を望まなくなる。教師は見守り、良くないところがあれば改善を促したり、アドバイスしたりするだけですんでしまう。

子どもたちを、「監視」しなくていいので、ういた時間で、ノートにコメント書いたり、丸つけしたりすれば時間内で必ず終わる。

また、私はテストの理解度をクラス九割を目指して教科指導している。だから、ほとんどの子が満点に近いので、テストの丸つけ、データに転記は15分で終わってしまう。

定時に帰るためには、時間の使い方を見直すことと子どもたちとチームになること。特に子どもたちの力は凄い。だからこそ活用しないと勿体無い。

私が定時で帰れるのは、子どもたちが成長してくれているからこそ。チームになれているからこそ。だから私自身もこれに満足することなく、慢心することなく上を目指しひたすら突き進もうと思う。

新体力テスト狂想曲

新体力テストが終わった。

これを行うまでに、どれだけの労力を費やしたかわからない。

新体力テストは、自分の学年だけやっていれば良いわけではなく、ペアになっている下の学年と回らなければならない。

この下の学年と回るのが非常に厄介。

予め段取りを組んでおいたが、低学年は動きが読めない。

結局、予定時間には終らず、休み時間まで名一杯かかってしまった。

ただ、私のクラスの子達はよく頑張っていた。

下の子を見るという経験ができ、また一つ大きくなった気がする。

こういった、厄介ごとでも子供とチームを組むことでなんとか乗り越えていけるものだ。

この狂想曲も、終焉を迎えた。やっと落ち着く七月が来る。

 

 

いかなる時でも冷静さは、必要

先週の出来事。

一本の電話が入る。

「先週お伝えした、連絡帳でお話させてもらっていた件どうなってますか?一週間待ちましたが、進展なぜないのですか?」

というものだった。

その子から連絡帳を見せられた記憶がない。

見た記憶がない、どのような要件だったかと問い返すと、

「長い文章で書いたものなのに、見ていないわけがない。先生だって返信されています。」

すごい剣幕で、言われてしまう。

見てないものは、見ていないのだ。

らちがあかないので、連絡帳を持ってきてもらった。

明らかに私の字ではない。子供の字だ。

しかも私の名前の漢字が間違えている。

後に分かったのだが、子供が事を大きくしたくないために自作自演をしたとのこと。

しかし、結果的に初動が遅れ、問題が複雑化してしまった。その保護者にも、時間が経ち過ぎているので、解決は目指すが、ある程度時間がかかること、良くてここまでだろうということを伝えた。

普通なら、子供の字だと分かるはずなのに、冷静さを欠くと人間こうなってしまうんだなと、改めて私も気をつけないといけないと思った。

質の維持は困難

ここ数年、再任用の方が増えた。

再任用の方は、定年退職した後に、それまでの半分ぐらいの年収で教壇にたつ。

経験豊富なベテランが、定年退職せず現場に残るのはとても心強いことだ。

しかし、実際には、再任用後、配属された職場と上手くいかず毎年毎年職場を変え、たらい回しになっている人も多いのだ。

本校にも再任用の方がいるが、くたびれていて覇気がない。子どもに馬鹿にされている。力のみの指導しかできず、学習もかなり遅れている上、定着も悪い。問題行動を起こすのもそのクラスがダントツ。

その方は、全く仕事をせず、口だけ出して煙たがられている。

ベテランは、変化に弱い。昔に比べて格段にゆとりがない。ゆとりがある時代にピークだった人、ゆとりがない時代がピークな我々。スケジュール管理、合理性や効率性、リスク管理に差が出てしまうのも仕方がないのかもしれない。

学校現場は岐路に立たされている。ブラックな働き方がフォーカスされ、嫌煙されるようになってきた。免許更新の影響で、臨時任用や講師の枯渇が現実となってきた。ポンコツを再任用をしなければ、学校も持たなくなってきた。

これは、もう学校の終わりの始まりなのかもしれない。


ものは、考えようだ!

今日は、社会科見学。電車と徒歩で行く。例年は、格安バスで行っていたのだが、そのバス会社に断られてしまったので、こういうことになってしまった。

天気は大雨。こんな、ひどい日に社会科見学に行ったのは、久々だ。

子供たちも、文句を言う言う!

しかし、私はこう言った。

「君たちついているぞ!今日が猛暑日だったら、とてもきつい。熱中症で死ぬことはあるが、風邪引いても死ぬことはない。今日は涼しい、なんていい日なんだ」と。

暴論だろうか?

子供たちは、真っ直ぐなので「先生がそう行っているからついている気がしてきた」とか、「暑い日に行くよりいいよ。」とか言ってて前向きになった。

やはり、プラス思考で行かないと!

マイナスな環境は変えられないけど、気持ちは変えることができる。

それを示せたから私的にはいい見学になったと思う。

歩きや電車のマナーもよかった。いいところがたくさん見えた1日になった。

何より私もプラス思考が定着してきたことに嬉しさを感じた。(すげー自画自賛

久々にゆったりした日

今日は、午後何も会議がなく、フリーな日だったので、気兼ねなく仕事ができた。

仕事といっても、クラス環境を整え、レイアウトを変えたり、学年の廊下の整理整頓をしたりと今の子ども達の状況に合わせて改善するといった作業に近いものだ。

普段、授業準備、校務分掌、会議・学年会、文章作成、調査などに追われこのようなところは後回しになってしまっていた。

正直、本当は真っ先にやりたかったのだが…。やっとできた感じだ。

教室環境の乱れは、子供達の心の乱れに直結する。隠れたカリキュラムの研究者である、北海道教育大の横藤雅人先生も警鐘を鳴らしている。

しかし、校内を歩いてみると、整然としているクラスはゼロ。みんな、こういうところまで手が回っていないのだろう。しかし、目先のことだけ取り組んでいれば成り立つほど今の学校現場は甘くない。

ダンボールをそのままにしていても平気。ゴミが落ちていても平気。本棚がぐちゃぐちゃでも平気。そういった教員の姿勢は必ず子供達に伝染する。間違ったメッセージ性と共に。

荒れているクラスほど汚い。これに気がつけば、半分は改善できるのにな〜と感じながら家路についているのであった。