ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

学級崩壊事例その2

ケース:5 精神疾患を抱えた女性

私と組む前に精神疾患で半年ほど療養休暇をとっていた方。何に対しても不安感が強く、自分が想定していないことが起こると落ち込んだり、悲壮感になることが多い女性だった。学級担任と言うのはしょっちゅうイレギュラーなことが起こる。自分の思い描いた通りにいかないのでしょっちゅう愚痴をこぼしていた。週案通りに行かないと結構不機嫌になっていた。なんでもきっちりやる性格だったので、クラスもきちっとさせたかったようだが、子供たちが全く言うことを聞かずストレスを溜め、精神疾患が再発。1年はもったが、次の年また療養休暇に入った。

ケース:6 小1プロブレムに巻き込まれた若手

一年生を持った時に学年を組んだ若手。明るくハキハキとしていて、ガッツもあり、なかなか素質のある子だった。

しかし、受け持ったクラスには、親に捨てられた愛着障害の子が在籍していて、ハサミで人を襲ったり、ものを盗んだりとその子を中心に問題行動が多発。学級内のハサミはその子のおかげで全員お預かりとなった。祖父母が育てていたのだが、昔ながらの厳しい教育、早い話が暴力教育だったので、学校と噛み合わなかった。

常識のない祖父母も地域から浮いていて、子どもも放課後、ガラスを割る、ものを壊す、人の家に勝手に入るなどの問題行動をしたため住民トラブルに発展。そのクレームが学校にまで来るようになり、担任はノイローゼにかかる。主任だった私が、対応引き受けることになり後半はなかなか厳しい日々だった。その子は、次年度私が受け持つこととなる。

ケース:7 不思議ちゃんなベテラン

このケースが、1番わけのわからないケースになる。不思議ちゃんなベテランだ。

もともと、芸術大学出身で、芸術家志望だったのものの断念して教員になったという経歴の人だった。この人は、時間の管理が全くできず、渡していた予定表もどこかになくすので「予定どうなっていましたっけ?」が口癖だった。時間割もなく、その日の気分で授業やっていた。ものも多く、職員室や教室の机は書類やプリントで高い山になっていた。所謂、片付けられない人だった。いつも物がないと探している人なので、子供からの信用もすぐに失い、学級は常に騒乱状態。当然保護者も不安になり結構な頻度で訪問してきた。全く行動が改善できないので管理職も匙を投げ、対応を私に丸投げしてきた。仕方がないので面談も結構な頻度で入ったことを記憶している。その先生は、ADHDだったのではないかと私は思っている。

ケース:8 今組んでいる年配の男性

この方は、頑固一徹。思い込んだら猪突猛進。人の話が全く聞けない。こんな性格なので当然子どもたちの話も聞けない。口癖が「あなたたちで解決しなさい」だ。この様な姿勢だから、このクラスの子たちは「先生は話を聞いてくれない」と四月の末から不満をもらしていた。私がそれとなく伝えたが「自主性がそだってないからレベルが低い、これで鍛える」と語気を強めていた。この先生の望み通り、自分たちで解決しようと授業が始まっているのに話し合いをして校庭から戻ってこないということが多発する。これに味をしめた低学力、特別なニーズを抱えている子が、話し合いをすると称して勝手に教室から出て行くことになった。気がついた時にはすでに遅く、男子のほとんどが担任のいうことを聞かなくなった。登校を渋る子も出始め毎日電話対応で一日が終わっている。最近では、出来る女子も離反し始め、雰囲気が悪い。