文部科学省は、頭が悪い
私が、最近心底軽蔑している文部科学省。
やっぱり、高学歴エリートというのは集まるとろくなものがない。
上念司氏が、「高学歴エリートが国を滅ぼす」と常々言っているが、全くその通りで、彼等はまったく現場というものが見えていない。
例えば、英語や外国語活動。古いが文部科学省の文章にこんな文があった。
小学校の学級担任が指導することについては、
〈学級担任は、他の教科も担当しているので、国語や社会など、他教科と関連づけた英語教育を行うのに適している。また、総合的な学習の時間におけるこれまでの蓄積を生かすことができる。学級担任は、担当教員よりも子どもの実態をよりよく理解しており、子どもとの心理的距離も近い。
これが書かれたのは、平成17年の調査後のことだから、かれこれ約10年ぐらい前のもの。だがこの省は、全く考えを変えることなく突き進んで来たことになる。次の英語の教科書も「大きなかぶ」などの国語と関連させていることが話題になっていたし、英語を教えるのは基本担任ということになっている。
さて、英語には専門の教員免許が存在する。中学校、高校では教科担任だ。まして、語学というのは高い教え方のスキルが必要とする。
それを、なんのスキルもない小学校の教員に教えさせようとする方がおかしい。研修をしたところで所詮は付け焼き刃。どの教員も、スキルなんか上がるわけない。
だが、数年後、小学校英語の成果が上がらなかったとしたら自分たちが間違っていたとは思わず、現場が悪いと責任転嫁をするだろう。
もとより、様々な学校で検証を続けてきてこの方針なのだが、あんなものはデッキレース。研究校の取り組みなど、どの学校でも評価を気にして成果を盛る傾向にある。研究校の成果は、所詮他の教科を犠牲にして成り立たせているに過ぎないのだから、滑稽に思える。
文部科学省の本音は、「金がない」ということなのだろう。「金がないから」仕方なしにこのような方法をとっているのは明白。本来なら小学校の全てに英語専科を導入すべき。中学校、高校の英語の免許を持っている人を雇って教えさせれば、よっぽど効率もいいし成果も出るだろう。「金がないから現場でがんばって」と態度で示している文部科学省の役人、中教審のお偉さんは、自ら「私たちは考えられませんでした。無能です。」と示していることにいい加減に気付くべきだ。
カリキュラムマネジメントなどと聞こえの良いことを言っているが、文部科学省は、「教育行政を統括する能力がありません。お手上げです。現場にお任せします。」と言っているようなものだ。
道徳だってしかり。あんな、ありきたりのことしか書いていない薄い読み物読んで道徳心がつくならとっくに子供達は一流になっているし、学級崩壊も起こらないだろう。
国が出す教育政策は、中身が空っぽ。
やれ、英語だ、道徳だ、プログラミングだという前に、教員養成をしっかりしたり、教員の数増やしたりと人に金をかけるべき。ただでさえ若手が増え、学校は動かなくなってきているんだ。
人は石垣、人は城だ。この原則を見失うとろくなことにならない。