ポレポレ先生の実践日記

小学校で教員をしています。日々の出来事、思いを書いています。

やっと夏本番

やっと夏らしい夏がやってきた。気温もぐんぐん上がり今日は30度超えた。これだけ暑いとやっぱり夏がきたって思ってしまう。今まではとても寒すぎた。おかげでプール学習が中途半端で終わってしまった。本当だったらもっとガンガン泳がせてもっとガンガン伸ばしてあげたかったのに…。今年のプール学習はかなり不完全燃焼。

まあ、それはさておいて、今年の夏はやりたいことがたくさんある。旅行に行く、読みためていた本を読む、子供とナイトハイクに行く、親しい友人と山登りに行くなどなど楽しいことをたくさん計画している。

当然、成績もまとめとかなければならない。私の自治体は、2期制なのでこの夏休みに所見や成績をある程度つけとかないととんでもないことになってしまう。7月中にスタートダッシュ決めてさっさと終わらし、8月はうんと羽を伸ばそうと思っている。さぁ明日も頑張ろう。

今年は…

今年一緒に組んでいる学年の先生は、全く余裕がない。

私より少し上の方は、元気の良い子たちにきりきり舞いにされさせられている。クラスの雰囲気も悪い。指示も全く通らない。先日、着衣泳があったのだが、そのクラスは、着衣泳の後持ってきたペットボトルで男子のほとんどがチャンバラをやるという事態になっていた。普通だったら、落ち着いて待っているはずなのに全く秩序がない。その先生も子供たちのことを諦めている様子がありありと出ていて、見ていてすき間風を感じる。

中堅さんは、親からのクレームがガンガン来ていて苦しい。クレームは何気ないものだが、文面を見ているとどうにかして粗を探そうと言う魂胆が見え見えなのだ。「連絡帳で返信しないで電話でやったほうがいい」と苦言を呈したが、連絡帳の文面から付け込まれている。再度、助言をしたのだが、あんまり聞いてもらえずやっぱりこういう結果になったなと言う印象である。

もう1人の若手のクラスは、動物園と化している。落ち着いて授業ができているところが、全く見たことなく、いつもいつもざわついている。完璧に伝え方の技術が足りない典型例。

 3人ともなんとかしたい気持ちはある。だが、全く良くならない。取り組んでいる事が成果になるどころか悪化を招いている。

よくチーム学校何かと言われているが、チーム内で合意形成するのは本当に大変。「これいいよ、これ試してみようよ」と行っても全く取り組もうとしない。価値を感じてくれないところに何を言っても意味は無い。

「やってみたら楽になるのになぁ、どうしてやらないのかなぁ」と思い続け、ついに夏休みに入ってしまった。

これからこの3クラスは、私のクラスとの差を感じていく日々になるのだろうと思ってしまう。来年までもつのだろうか?

いろいろな細かい事は、私が全てやっていて、返ってくるものが今のところ何にもない。他のクラスのことをやらなくちゃいけない所為で自分のクラスが犠牲になる。我がクラスの子供たちは、「先生言ってあげて」と言うスタンスなのでとても助かっているが、他のクラスに使っているこの余力をもっと自分のクラスに使ってあげたい。

なんだか最近割に合わないなぁと思う。私は初任者の頃から、誰も頼ったことがない。問題も全部ひとりで対処してきた。苦しい時も誰にも相談したことなく試行錯誤しながら解決してきた。この発言を聞いたらなんて謙虚のない奴だろうと思うに違いないが、実際に今まで足を引っ張られることばかりで助けてもらった経験などない。

みんなには、プロ意識をもって仕事してほしい。日本の未来をつくっているという気概を持つべきだと思ってしまう。

金曜日の職員会議

金曜日の職員会議は、ただただ長かった。

なぜ長かったかと言うと、各クラスの児童指導の報告がトータル1時間かかったからだ。これは異常と言わざるを得ない。

どのクラスでも、いじめ事件や暴力事件が相次いでいる。すべて解決をしているのだが、教員の対応が後手後手になっていて問題行動する児童に振り回されている。そもそもなぜいじめや意地悪や暴力が起きるのだろうか。教員が学級をしっかり締めていれば、マネジメントしていれば確実に防げる問題だ。

問題が起きている学級の担任に、詳しく話を聞いてみると「私はしっかり話しています。」「あの子には同じ話をしているのに全く伝わりません。」「あの子の家は親がダメだからこうなっているんです。」などと自分には問題のない言い方をする人がほとんどだ。

前に書いたが、教員の能力は伝え方が9割だと私は思っている。指導していても伝わらなければ何の意味もない。それは指導したと言うアリバイ作りにしかなっていない。効果があげられない指導はもはや指導ではない。これがわからないから何回も同じことを繰り返し無限ループにはまるのである。7月の時点でこの状態のクラスは、もう高いところを望めない。同じ学年を組んでいる同僚もこれにハマっている人がいるので、おそらくだけど私のクラスとの差は開く一方になるだろう。

話し方や、語りかけ方、聞かせ方を学年集会や全体指導で見せているのだが、なかなか良さをわかってもらえないのが只々悲しい。

教員は勉強しなくなった

教員は常に学び続けなければならない。

私が駆け出しの頃、ベテランの先生から言われた言葉だ。だから私も、本をたくさん読み、それらの実践を多く試してきた。当然人の実践なので自分に合う合わないと言うものが必ずある。その中から取捨選択し今の自分のスタイルを築いてきた。

しかし昨今どうだろう。若手ベテラン問わず本を全く読まない。勉強もしていない。自分を高める努力もしていない。ただ日々の業務に追われ四苦八苦している。

これは確実に、前回と今回の指導要領改訂の影響だと思う。たくさんやることを詰め込まれた指導要領。

はっきり言ってこれらの二回の改定は、教員の余裕を確実に奪った。教える内容は増えているのに、それを準備する時間が全く存在していない。授業数、授業時間が増えると言う事は当然他の時間を削りそれに当てられなくてはならないはずだ。しかし、学校現場で何かが削られたと言う事はあまり見受けられない。結局、就業時間内に仕事が終わるという事は全くない。

今までの学校現場は、本音と建前をうまく使い分けてきた。その玉虫色の対応が、今学校現場を苦しめている。

もう建前を使うのはやめにしないか。これからは本音で話し、できないものはできない、無理なものは無理だと突っぱねることも大事なのではないか。そうしていろいろなものを精選し、余裕を生み出すことは本当に大事だ。余裕から良い学習良い勉強が生まれてくる。今の余裕なき学校現場は、子供たちにとっても教員にとっても学ぶべき場として成立しているとはいいがたいと深く思ってしまう。

技術と指導力

「クラスが荒れているのは教員の指導力不足のせいである。」と言う人が多くいる。実際にベテランの教員が、初任者や若手の教員に対して助言や説教している場面を見るとたびたび指導力不足と言う言葉が垣間見える。

私は、その言葉を聞くたびに、「それは乱暴な言い方だな」と感じてしまう。

指導力不足と言うのは何を持って指導力不足と言うのだろうか? 授業力なのだろうか?人間性なのだろうか?それともその人が持っている雰囲気なんだろうか?

ベテランの中にも、授業が壊滅的にひどい人がいたり、人間性的にどうしようもない人もいる。若手の中にも、子どもが「話を聞かなくちゃいけないな」と思わせることのできる人もいる。指導力不足と言うのは、若手だから多い、ベテランだから少ないと言うものでもない。

私は、この問題は、指導力不足という言葉で片付けられるべきではないと考えている。これらの問題の根幹は、伝え方の技術不足と見る方がしっくりくる。

問題のある同僚のクラスに入ってみると、伝えようとはしているんだけど、あんまり伝わってないなぁっていうことが見受けられる。また、たくさんいろんなことを言いすぎて子供たちが訳が分からなくなってしまっているケースも存在する。

だから、私は、教員の伝える力つまりデリバリーの能力を向上させることが、これからは教員として生き残って行ける重要なファクターなのではないかと強く感じている。

学級が落ち着く落ち着かないの約9割は教員の伝え方だ。

学級が落ち着かないと感じたならば、自分の伝え方を見つめてみることが、安定させる近道になりえる。

ぜひ自分の授業、何気ない話などを録音して聞いてもらいたい。きっと新たな発見が、見えるはずである。

やっぱりこうなるよね。

どこのクラスも、予定されたところまで授業が終わらない。

最後まで、運動会の練習と新体力テストのせいで遅れたものが取り戻せなかったことになる。

びっくりするほど遅れている。

今後も行事が鬼のようにあるので、一体どうなるのだろう?

やれることと言ったら、教科の間引きだろう。かけなくてはならない時間をかけずに急いで駆け抜ける。その末路は子供達の低学力化だ。

道徳、英語が入って来たせいで、全く隙間、余裕がない。このゆとりのなさは、行事で遅れた授業を取り戻すことを困難にしている。

 

もう、行事は、やめたほうがいい。首が閉まる。百害あって一利なし。引き算発想でバサバサ切っていかないと立ち行かない。

私の最小限で最大の成果を出せる方法を、ディスって来たベテランもびっくりするほど遅れている。口ほどにも無い。ただ、あんまり私は構うことなくガンガンやっていこうと思う。

学級担任は、民間で言えば独立事業主みたいなもの。自分のマネージメント次第でどうとでもなる。

今年の不登校対応は、より難しい。

毎年、不登校やその予備軍を受け持っている。

 

不登校の子を持つと、クラス経営に倍気を使う。迎えに行けば学校に来れるなら毎日迎えに行くし、時々来れるなら学校に来れた時の人間関係のケアもしなくてはならない。学習に遅れが生じるのでその子用にワークシートを作ったり、放課後来てもらって教えたりすることもある。

休んだ時の手紙の受け渡しも休んだ時は毎回なのでそれをするのもなかなか大変だ。

 

最近の不登校児のご家庭を分析してみると、共働き率が100パーセント。両親共にフルタイムで働き時間的な余裕がないのが伺える。

加えて過度な要求が目立つようになって来た。例えば、私が今持っているケースは、

1 登校刺激はしないでくれ。

2 学習は、遅れないようにしてほしい。

3 学校に来れた日は満足させてほしい。

4 休み時間は、遅れた課題をさせないで友達関係を深めてほしい。

5 できなかった課題は持ち帰らせてほしい。しかし。出来なくても叱らないでほしい。

6 クラスには普通に接してほしい。

 

要求がかなり高い。

今までのケースで取り組んで来たものが出来ない。そして、兄弟関係が良くないこともあり、休んだ時には上の子が連絡帳の受け渡しを拒否しているので連絡手段は困難を極める。

 

しかも、この保護者は私と同じ職業なのだ。同じ仕事をしているのにこの要求度。加えて子供と向き合っていない感が半端なくてなんだか虚しい。

知り合いがその保護者と同僚なのだが、仕事をしない、しょっちゅう休む、学級崩壊常習者ととても評判が良くない。

まさにモンスターペアレントとモンスターティーチャーの複合体。これまた困難。

 

ただ、子供にはなんの罪もないので、改善のために心血を注ごうとは思うが、今までのケースは違い、家庭の力は望めないのできつい日々は続いて行きそうだ…。